我が町坂下町長さんが述べたH25年度の施策は・・・。
昭和44年、最初の子供を産む少し前から住み始めた家は
塩釜トンネルを抜けて走って行くと見えて来るこの坂の上にある
「西町第2団地」でした。
つきあたりに小さな集会所(元はここにお寺があった)があり
そこを右に折れ更に上へ~。
私の棟からもっと上に行くと広場があり
今日はこの団地を見たくて行って来た。
この広場から海の方を見ると様似町のシンボル「親子岩」が良く見える。
この直ぐ下にある棟の端っこが懐かしい我が家(車のある所)であった。
出来たてピッカピッカの「様似町西町第2団地」の最初の入居者でした。
そしてここからまた一段下の間取りの広い住宅に移動して
昭和60年まで暮らしたのが「観音山」が良く見えた
これまた端っこの家だった。
ここにはひと口では言えない位の家族の思い出がいっぱい詰まっていて
建物の古さと共に月日の長さをしみじみと考えてしまいました。
この団地から下りて行く坂の途中で足を止めると
「ローソク岩」と「塩釜トンネル」が見え
夏になると沢山の海水浴客で混み合う「親子岩ふれ愛ビーチ」も
住んでいた時と変わらず今もキラキラと・・・輝いていた。
ここの団地を出てから早いものでもう28年が経っていた。
今夜のブログにどうして私がこの「西町第2団地」のことを書いたのかを、 話しましょうね。
実は7日に開会した町議会定例会で坂下町長さんが述べた
第8次町総合計画の施策の中のひとつに
この「西町第2団地」」の建て替え工事が計画されていたからなんです。
平成25年度には2棟8戸の建設がなされ、ひとつづつ、ひとつづつ
古い団地から新しい団地になっていく期待もある半面
個人的には寂しさを覚えてるからでした
またこの施策の他に
今、田代地区に建設されている「イチゴハウス施設」の
ビニールハウスの整備事業継続等々も述べられていました。
「様似小学校」の改築も本格的に始まるとのこと、
私達も「町民と歩む 個性あふれる 元気な町づくり」の実現に向けて
「頑張らなくては~」と。
風邪気味だった滞在のk田さんもやっと元気になれて
皆さんと一緒に
夕食「鱈のフライ、豚の温しゃぶ、韮の卵とじ、マルサンくどうさんの
たこマンマ、ソーメン汁」を食べてました.。
さ~て明日の皆さんは
「朝食を食べて~、お弁当を持って~、我が家に帰りま~す!」
家族の顔を見て来て、また元気に月曜日から
「仲良くやりましょうね~」