今日はNARUKIの人達を見送って朝御飯を食べたのが午前8時半でした。
明日、明後日とお客さんをとらずにいましたが
お通夜や告別式に行く前にやることをやって~~~と
思っていたらお友達が来たりしてあっと言う間にもう夜に(@_@;)
町の中を走っていると、あっちこっちでやっていた工事も終盤に。
西町の「海辺(うんべ)川」の護岸新設工事も


「塩釜トンネル」に歩道をつける工事も。


観光時期になって自転車やバイクのお客さんがお越しになると
「塩釜トンネルを通った時には歩道がちゃんとしていなくて
メッチャ~車の風圧で、走ってくるのが怖かった~~($・・)/~~~」って
言ってたから歩道が整備されて良かったと思いますよ~。
この塩釜トンネルの歩道整備工事の写真をブログにアップしたところ
また日高町富川に住んでいるKANEKO先生(様似高等学校の教師でした)
から時を同じくしてこんな昔の新聞記事のコピーと一緒に

「1982年3月上旬、この塩釜トンネルであった交通事故が
忘れられません。

当時の岩谷町長が言っていた。
『塩釜トンネルに入るまでの道路構造上にも問題はある』とされた部分は
改良されたのでしょうか?
女将のブログでローソク岩(2月5日の)、塩釜トンネル(3月7日)が
出ていたものがあり、より思い出しました。
この事故の他にも交通事故で様似高等学校の卒業生が数名なくなって
います」と

手紙が入っていました。
私もちょうどこのころは3人の子育て真っただ中、
大変な事故だったのを記憶しています。
冬のしばれる朝には特に気をつけて走らなくては~~。
トンネルの中に入ると直ぐ中で急カーブになっていて
浦河側の出口では路面がツルツルになっているのを知らずに
スピードを出したまま行くとでハンドルをとられ
反対車線に飛び出して対向車と激突!
なんて事故が良くありました。
だから少しでも改善されて欲しいと願ってました。
長いこと様似高等学校の教師をしていたKANEKO先生だからこそ
三人の女生徒が亡くなったことを忘れてはならないと
私に送ってくれたんだと思います。
今夜はその昭和57年3月8日の当時の新聞記事を掲載いたしました。
最後にKANEKO先生の言葉
「お彼岸です。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと
思います」
・・・・・・・・・・・・・私も後輩のご冥福を祈ります

・・・・・・・・・・・・・



様似町の「塩釜トンネル」を通る時にはこうした惨事のあったことを
今一度、皆さんも想い出してお祈り下されば幸いです。
明日は私もお父さんも兄の孫の大好きだったお爺ちゃんを
「お祈りしてきま~~す」
でも・・・明日の浦河、様似、えりも地方は
「暴風雪注意報」が出てるから心配で~~す
追伸・・・・
KANEKO先生、ちゃんとブログにUPさせてもらいました」