エンルム岬をバックに小さい頃に遊んだ幼馴染がとうとう逝っちゃった(-_-;)
様似町には海に突き出たところ「エンルム岬」がある。
駅前民宿に泊まってくださったお客様に良く私は
「ここからの景色を是非見て欲しい!!」と薦めるのは
ここと決まっている。
全体的な様似町の景色はここから見るのが一番。
苫小牧方向の西側~えりも岬方向の東側まで
首を動かすだけでぐるりと見渡せる。
このエンルム岬は
小さいころの私の遊び場だったところ。
この岬の付け根から磯の岩場まで数件の家がある。
ここは昔、会所があった所でその名の通り住所は
「様似町会所町○○番地・・・」で郵便物は届く。
更に私達の様にこの地区に育った者は
この数件の家並みを「長屋」と言い育ちました。
一番上の兄はここの磯に潜って遊び、
その下の兄はこの磯に竿を下して大物釣りを、
私は父に連れられバケツを下げて長靴を履いて
エンルム岬の磯を一周したものです。
その会所町で幼稚園から小学校、中学校、そして
北海道立様似高等学校と
(今は様似町立図書館になっている)
ずっと一緒だった幼馴染の○~ボ君が
「今朝、亡くなった!」と電話で知りました。
今から9年前に「ホテル・アポイ山荘」でやった
様似中学校第16回同期会ではいい顔をして
ハンサムに写っている○~ボ君。
「この頃は私達、若かったね?ねぇ~○~ボ君?」
つい先日、
「虫の知らせだったのか?」
無性に○~ボ君に会いたくなって
「今日行こう!」
「今日行けなかったから明日はぜった行こう!」と
思っていたのに結局、行けないうちに
「とうとう逝っちゃった~」
「会えばいつも決まって『おい!○○!元気か?』って言ってくれてたのに・・・」
これからは寂しくなります。
お父さんの将棋相手のHさんの
弟にあたる○~ボ君。
同じクラスで過ごした高校時代のアルバムを
捲りながら想うことは
また一人、同窓会名簿に『死』と言う文字の付いた
クラスメートの名前が増える現実。
いつまでも元気に生きて行くのが一番なのに
「な~~んにも言わずに逝っちゃった」
明日はやっと様似で会える。
「ご苦労さんでした。○~ボ君!」
今度、エンルム岬へ上がったら
(様似町のポスターから掲載。
黄色で囲っているのがエンルム岬、赤の線が長屋)
○~ボ君の家の方を向いて
「手を合わせるからね~」
先日、ご自分に悲しい事があったのにもかかわらず
こうして私に♥マークをいっぱい貼って手紙をくれた
お友達もいます。
いつまでもいつまでも若い気持を持って支え合い
「○~ボ君の分も生きて行くよ~~」
返事を書けないでいるうちにこの訃報を知りました。
苺のシールではないけれど私も○~ボ君の告別式が終わったらシールを貼って
「返事を出すからね~」
「え~~と?どれどれ?」
「赤じゃない色のシールはないかな?」