あれから20年が経ちました。

阪神淡路大震災」からもう20年。
私もあの日のことは忘れられないひとりです。
 
 
最初の夫を亡くしてから駅前民宿に嫁ぐ前は
私は地元の北海道新聞の販売所の所員として
毎朝朝3時に起きて出勤。
午前4時、朝刊配達の新聞を紙分けし、
子ども達を全員、配達に出し終えてから
今度は自分が配達する郡部の150部の新聞を
大きなランドクルーザーに積んで出発。
平宇~朝日が丘~田代~岡田~西様似~新聞店に戻ってくるまでの
3時間はただひたすら新聞を配って走り、働いていた私。
 
20年前の今日、ランドクルーザーのラジオで
「淡路島や、神戸で大地震が起きて大きな被害が発生!!
今現在あっちこっちから火の手が上がっていま~す。
まさに地獄絵を見ているようです!!」と、
ラジオ中継しているアナウンサーの上ずった声を聴いた。
急いで新聞配達を終わって家に帰り、着替えてから
今度は駅前民宿に来てお客さんが食べた朝食の茶碗を洗い・・・と
2足の草鞋を履いていた当時の私。
やっと仕事が終わってからみたテレビ画面でその被害の大きさを
初めて知り、立ちすくんでしまいました。
 
あれから20年。
駅前民宿の私達2人の生活も阪神淡路大震災」と同じく
ここから始まりました。
朝からず~っとテレビ画面に映るあまりにも悲惨な地震の跡を
観るたびに新聞配達をして生計を立てていた時の自分とがダブリ
胸が熱くなって涙が止まりませんでした。
自分の過去を語るつもりはなかったのですが私達にとっても
わすれられない20年前の1月17日だったんです。
忘れてはならない自然災害、今日一日は静かに亡くなった方々の
ご冥福を祈ります。
 
さて今夜は「カフェマザー」さんでライブをする
クマゲラ」さん達が泊まります。
帯のタペストリーもこの柄に替えてみました。
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今年は良いことがいっぱいありますようにと末広がりの柄を選びました。
真ん中がちよっと寂しかったので100円ショップで買ってあった椿の花を
真ん中にあしらってみましたけど
「どんなもんでしょうか?」
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今時期、花の値段はメッチャ~高いけど仲良しの
「カフェ・マザー」のママさんからの紹介なので奮発!!
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「駅前民宿のおもてなし~~」
お父さんと2人で布団のあっちを持って~こっちを持って~
5人全員に(勿論まだ続いているJR北海道の乗務員さんにも)
電気敷布を敷きましたよ~~。
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「ライブが終わってから反省会?チェックインが真夜中になるかも?」と
言われたので
「帰ってきたら寒くないように」と
これも「駅前民宿のおもてなし(*^_^*)」
 
ほろ酔いで帰ってきても布団の中が温か~~いから
「直ぐ寝れると思うよ~~クマゲラさ~~ん達( ^)o(^ )」
 
2次会に行ったみんなの部屋に暖房を入れに行ったら
大きなベースギターが
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「女将さ~~ん!今夜は疲れたよ~」って言ってるみたいに
もうぐったりと?横になってた!(^^)!
 
午後9時になりました。
「あと30分でJR北海道の乗務員さんが着くね~お父さ~~ん?」
「あっ!着いたぞ!お母さん、俺、迎えに行ってくるわ~~」
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やっとバスが着きました。
「私は20番の部屋から写真を撮るから、お父さんお願いね~~」
・・・って迎えに行ったらなんと「JRバスえりも号」だった?
1時間半遅れでで到着。
苫小牧から列車代行で走ってきたJR北海道のバスも
定時を少し遅れてただいま到着(*^。^*)
「やれやれ~~」
 
 
 
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