明日の「北海道様似高等学校」の卒業式典の様子をUPして~~」って。
「前略
女将のブログを拝見しています。
・・・・・親子岩やアポイ岳、エンルム岬と人々のやり取りを楽しく
眺めています。
今後とも頑張り続けられますように。
様似高等学校の最後の生徒が巣立つのは目前です。
出来ればその様子なりを伝えていただけないものでしょうか?
また、最後の文集「石楠花」はどうなったでしょうか?・・・・・・・・・・・・・
それでは一方的なお願いとなりますが
様似高等学校の締めくくりの様子なりを発信していただけたら・・・と。
なにぶんよろしくお願いいたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その取材力、地域の風景と人々のかかわりがあるからこそ
この今の地位がありましょう。
その発信力に関心いたします。
どうぞ頑張り続けられますように。
さようなら
金子 俊」
金子 俊先生から
こんな手紙と、ご自分が在籍していたときに
編集顧問として作った文集「石楠花」4冊
(33号、35号、36号、37号)が同封されて送ってきました。
同封されていたものは
終戦の年(昭和20年3月21日)に
今の様似町平宇で起きた17人死亡バス炎上転落事故に
ついて共産党新聞「さまに民報」にその真相を調べて連載していた
森 勇二さんの記事でした。
そこでこのブログを書いている途中で手を休め平宇の現場へ
行ってきました。
えりも町に向かって走って行くと
平宇の家並みが過ぎた左手の山際にこの石碑がありました。
今月も月命日にあたる21日にもお参りに来た方がいらっしゃったのか
枯れてはいましたが手向けられた花が残されていました。
帰りはぐるりと様似町方向に変えて帰ってきました。
まだ私が生まれていない頃に起きたこの悲惨な事故を
あらためて想うことが出来ました。
亡くなった人たちの供養になったと思います。
金子先生から頼まれた?「様似高等学校」の卒業式の事について
書こうと思ったブログの内容だったのに
スッカリ横道にそれてしまいましたが
修正して戻しますね~(*^_^*)
今夜から新しい滞在さんが入り、明日は果たして列席できますかどうですか
??????
「石楠花」の表紙の裏にとっても良い言葉が書かれてました。
(全て『むの たけじ』さんの言葉、字は当時の堀籠先生が書きました)
私から明日、卒業する「様似高等学校」の最後の後輩に捧げます。
「どうぞ、頑張って人生を生き抜いて下さい」
NARUKIさん達もK電社のT尾さんも
長くて大変だったお仕事もやっと明日で終わります。
いつものように最後の晩餐会。
母さんからの差し入れのビールで
「カンパ~~イ」
「見送る明日は絶対に泣かないぞ!」と言う私に
K嶋君とM川君、
「母さんってば?また3月に来るんだから泣かなくても良いよ~~~」
だ~って。
「あともう少し、あともう少しで休める~~。頑張りま~す!」
「金子先生、応援ありがとうございます。
これからも故郷様似町を取材?して更新しますので、お楽しみに」